2012/02/13

屋代勝永館跡発掘調査その後

戦国武将の館跡が残っているのは珍しい事らしい。縄文遺跡は都市部以外にも可能性があるが大名屋敷(武将だが)ともなると都市部とは云わないまでも市街地であることが多く、遺跡として残りにくいのではないか。幸いここは農村で市街化されなかったので400年前の遺構が残ったに違いない。北杜市教育委員会の最後の現地説明会にたまたまではあるが立ち会うことが出来た。
県内から参加者が多く集まった。工房前の道は時ならぬ山梨ナンバーの車で一杯になった。ここもこの調査の後、土地改良工事をするらしい。戦後この国では農地解放により土地は小作のもの、つまり私有財産となり憲法はその権利を保障している。曰く「何人も人の財産を侵せない」と。ここも私有地に相違ない、従って調査記録を残すことしか行政は出来ないのであろう。
大したものはないが当時の生活を忍ばせる出土品が並べられていた。
同じ道、2~300m先では土地改良工事が始まっている。ここには縄文遺跡があった。同じく市の教育委員会が去年の夏調査を終えた場所である。すでにきれいさっぱり跡形もない。願うはその歴史に負けない環境を残して欲しい。

0 件のコメント:

コメントを投稿