2012/06/25

シンボルツリー

 工房のシンボルツリーはもちろん銀杏。今年も新梢が順調に成長をしている。シンボルツリーと云うにはやや小ぶりだが、ようやく工房の屋根の高さにまで達しようとしている。だが元気いいのは銀杏に限ったことでは無い。右側の昔からあるまさきの生け垣、左のユキヤナギも皆元気一杯だ。
アプローチの3年目のアベリアもえらく元気がいい。昨年は書物に従い徒長枝をカットしたためか、伸びが今一だった。今年は好きな様にさせてあげる。ところでここに植わっていた4本の桜だが入り口の1本を残し根元から切り倒した。どうにもアベリアとの折り合いが付かなかったのだ。
これで桜並木の夢は完全に消え去ったが逆にアプローチはすっきりとした。
この通路の最奥部に、有り余る古瓦の活用法を見つけた。隣地との高低差30センチの解消に使うのだ。糸を張り瓦を1列に並べた。ここに植物を植える。
7本のドウダンツツジを植えたが見えるだろうか。また木杭のフェンスも高さを揃えて再整備。そうしたら俄然しまってきた。しかしまだ7~8m分の整備でしか無い。このアプローチは約60mある。この線上にアベリア、薪小屋、まさき、南天、レッドロビン、小手毬、カシ類そしてドウダンツツジとなる。ここに桜が加わっていたのだ。まるで節操が無い。桜など今にして思えば軽率な思いつきだったと反省しきり。
(掟では田の畦近くに桜などの高木は植えてはならない。これは常識なんである)

2012/06/21

足もと3題

伝統構法というのは土台の代わりに「根がらみ」があってはじめて成り立つ工法だからそれを取ってしまうと柱の根元はきわめて心許ない。縦横に梁(根がらみ)が突き刺さっていた柱はそれらを取り除くと大きな断面欠損が出来てしまう。そこでご覧のように柱部材を補強をすることになる。束石とPCが埋まる程度まで基礎コンを打設することで基礎などの下部は固まるだろうが、柱を固定するための新たな根がらみは必要になるだろう。
外周部など場所によっては申し訳程度の土台もあり苦肉の補修、でも愛らしい。材は新旧共に栗、既存の心許なく見える土台も栗で腐りもせず虫にもやられず90年の風雪に耐えてきた。日本の民家を支えてきたのは栗では無いかと思えるほどである。
この構面は大黒柱の通りで構造強化のため既存柱に新設柱を抱き合わせてある。将来独立柱となるためこれも栗材を用いている。
見上げると既存の柱とはボルトで縫い合わせ、ボルト頭は角形の栓で埋め木してありアクセントになっている。それにしても、あまりに手間がかかる。私は少しはらはらしながら眺めている。


天井裏から古新聞が出てきた。日付を見ると大正12年と15年。登記簿による年代もそのころだからそうなのだろう。この建物は築後約90年といったところか。

2012/06/11

土地改良工事その後


神取集落の土地改良工事はほぼその全容を現わして来た。まだ未完成だがすでに田植えが行われている。先に見える集落の中に銀杏工房はある。その向こうに甲斐駒ヶ岳、鳳凰山などの南アルプスがあるが今日は雲の中。
この戦国武将屋代勝永の館跡(2月撮影)はもう無い。神取米は量が少ないため市場に出回っていないが、一説によると武川米より旨いという(手前味噌?)。日照と水はけの良さが幸いしているのだというが。
ところで懸案だった柿の木だが幹からやや遅れて芽を吹き出した。これが生長してくれればこの木は切らずに済むだろう。

となりの田植えも終った。母屋のブルーシートが見える。工房棟が当面の住まいだ。

工房での仮住まい、「住めば都」と言ったところか。

2012/06/04

明野の麦秋

明野には結構麦畑がある。田植えのこの季節は麦の実りの秋でもある。私はこの風景が好きだ。麦畑の向こうの丘陵が七里岩ライン、その先に南アルプスの山並みが見えるはずだがこの日は雲がたれ込んで見えない。麦畑と七里岩ラインの間に塩川が流れている。銀杏工房はその塩川の流れに沿った集落にある。
我が銀杏工房B棟の指揮をとるのは武川の大工、棟梁のこの赤シャツ氏。この前「全部ばらして作り直した方が早いんじゃないか」と言った彼は重機がここまで入らないためそれを断念、少しづつ人力でやっていくしかないと腹を括った様だ。私は胸をなで下ろした。
弟子2人はただいま修行中。面倒くさいことを面白がってやるのがいい。建物のゆがみを修整しつつある。
さあ、これからが古屋再生の本番だ。時間軸で評価すればビッグプロジェクトである。完成には私の働きがかかっている。つまりいつまでかかるかわからない。