2011/08/19

鬼瓦

解体した納屋の屋根は瓦で葺かれていたので棟の両端には鬼瓦があった。そこにはこの地の旧家「上村」の名が刻まれている。信玄のその昔、戦国大名屋代勝永が出身の信濃村上氏を寝返ることで武田は信濃に躍進するのだが、屋代についてきた村上の一派は信玄に遠慮「村上」姓を憚り上下入れ替え「上村」を名乗ったという。近くに屋代勝永の館跡の土塁が残っているが、この家の南北も、道路をはさんだ向かいの家も「上村」姓である。もっとも北隣は8年まえより、うちと同様他姓の人が住んでいる。真偽のほどはわからないが、本当だとするとこの集落で「上村」家は400年以上続いていることになる。
この鬼瓦、処分するのは忍びないので、アプローチのシーサーの足下に据えた。
ところで、この猛暑の最中、屋代の館址よりさらに100mほど上で遺跡の発掘作業が進んでいる。話を聞くとこのあたりどこからも縄文遺跡が出てくるそうだ。特にここは土地改良工事が予定されているので、調査記録だけでも保存しておこうということらしい。補助金を使って田を開墾するのだという。後継者がいないことから耕作放棄地がある一方で、遺跡を潰してまで土地改良工事をする必要があるのかどうか、ちょっと考えさせられることではある。

2011/08/16

山梨では次のステージに向かって動き出している。庭の紅葉や檜、それに大葉擬宝珠(うるい)が切り取られ、ガレージに使っていた納屋が解体された。
これが1週間前の納屋ガレージ。
さらに1年前の写真、敷地奥のアイストップになっておりここ全体のイメージを決定付けていたし、それを当初「よし」としてきたのだが、やがて私の中で対立が生まれ、ついにどうにも許せないと思うようになってしまった。それに雨漏りがひどく、もう放置できないところまで来ていた。
とりあえず、納屋がなくなって母屋の西側の窓からの風景が一変した。まるで山の中にいるようだ。それまで納屋に隠れて一部しか見えなかった竹林やその先の林が目の前に拡がった。



2011/08/09

娘の人生

古屋再生とは少し離れるが娘の人生について、
テーマは「ダンス」

こりゃ私は門外漢だ。しかしいきさつには思い当たる節がある。おばあちゃんつまり私の母がやっていた。また彼の両親はダンススタジオの経営をしている。私の知らないところで彼らの人生の糸車は回っていた。

銀杏工房には直接の関係はないがこの夏いろいろなことが同時進行している。工房は工房で進行中なのでこの次報告する、、、

2011/08/02

暑い夏

この夏、私の身辺ではさまざまなことが同時進行している。
その1、東京の住まいが変わった。この写真は新しい(といっても古いマンションだが)私の書斎から見た西新宿の景色だ。超高層建築が迫ってくる。
自ら設計し18年間住んだ家を去ることは身を引き裂かれるような思いであったが、いざ引っ越してしまうとさばさばとしたものということも今回のことでは経験した。

その2、娘が結婚した。彼氏はダンサー、ちなみに娘もダンサーだ。私は危ぶんでいた。ところが先週彼の両親と会い少し考えが変わった。彼の父親はダンスで身を立てた。昔、ダンスを社会は認めていなかったらしい。そこで彼は娘の両親、つまり私たちがこの結婚をどう考えているか気にしていた。私はこの結婚を喜んでいる。

ところで山梨だが、環境整備工事の発注は済んでいる。やるのは明野の入戸野だが一向に始まらない。急ぐ話でもないしまあいいか。