2011/09/04

台風12号の最中だけど

工房敷地の竹藪を下った先の塩川は普段は渓流釣りなどが出来る穏やかな川である。ところがこの川も今日はこんな塩梅。この週末2時間弱の道のりが5時間もかかってしまった。中央高速が台風12号による雨のため八王子以西が閉鎖されてしまったためだ。国道20号も部分的に閉鎖されており、県道や地方道を走り継いでやっとのこと山梨にたどり着いた。途中崖崩れも見たし、路面が泥川のようなところもあった。それに比べれば塩川は穏やかな方だろう。
こんな時に行かなくてもいいようなものなのだが、工事で気になってる事があった。新設の砂利敷き通路の奥の仏石の設えがどうにも気になっていた。立派すぎるのだ。
この位置に動座するに当たって、勝永寺の住職に供養してもらうなど大げさな事になったものだから、ニットノ(工事)は気を利かせ、立派な基壇を作って堂々と6つの仏石を置いた。が、立派すぎて墓場のようになってしまった。私はひっそりと、ただし心を込めて地蔵仏のように設えたかったのだ。ステージのような床からおろし写真の位置に並べることにした。その奥のコンクリの床が問題の箇所(モルタルでそれぞれの基壇部分がまだ貼り付いて残っている)。ちなみに、一晩考えて、この床もピザ釜のスペースとして活かすことにした。それを彼に伝えるため台風の中やって来た。往路の難儀に懲りて復路は大きく迂回し富士山麓から静岡県経由、東名で東京に戻ってきた。距離は伸びたが渋滞知らず(台風だから観光客も少ないか)雲間から富士を眺め、3.5時間で帰ってくることが出来た。

2011/09/02

Takedaさん

何事にせよ仲間がいることは心強いものだが、ここ山梨では近くにTakedaさんがいる。八王子の人だが、この人がすごいのは、何でも自分でやってしまう事だ。このスロープだって自分で仕上げてしまった。時には重機まで借りてきて,,
今は陶芸工房の建設に挑んでいる。基礎は彼と彼の奥さんとで敷設した。上屋はプレハブだそうだが、基礎だけでなく設備配管もすべて自前である。まさに山を開拓している風情である。この人がいるおかげで励みになる。
この日は娘さんが来ていたが、彼女も自分の親のあまりの奮闘ぶりにあきれていた。がんばれTakedaさん。



2011/09/01

夏もお仕舞い

明野の夏もお仕舞いなんだが、一夏に1回くらいはひまわりの写真をのせておかないと明野らしくない。そこでこの写真。向こうにうちのお風呂の太陽館。夏の間のこの辺、日中は観光客で混んでいるので近づかない。で、これは早朝の写真、風呂には晩に行く。もうひまわりはお仕舞いで今頃はコスモスがさいているかな。
銀杏工房では工事がゆっくりと進んでいる。納屋の解体は済んで新ガレージの基礎工事が進行中。右手前に屋敷墓が見える。この前の土曜日、勝永寺(戦国武将屋代勝永の菩提寺)の住職に来てもらい拝んでもらった。移動せねばならぬのだ。明野の入戸野(工事担当)が怖くて手が出せぬというのだ。彼も私の後ろで手を合わせていた。今は集落に共同墓地があるが維新以前はこんな風に屋敷墓に埋葬していたらしい。この土地の売り主もさすがにそれは気になったとみえ、売却前に今回と同じ勝永寺に拝んでもらっていたらしい。私はこれを粗末に扱うつもりはない。マスタープランに従い動座願うのだ。ここには屋敷神という「神」もおり、この「仏」もいる。私はなんだかうれしい。

2011/08/19

鬼瓦

解体した納屋の屋根は瓦で葺かれていたので棟の両端には鬼瓦があった。そこにはこの地の旧家「上村」の名が刻まれている。信玄のその昔、戦国大名屋代勝永が出身の信濃村上氏を寝返ることで武田は信濃に躍進するのだが、屋代についてきた村上の一派は信玄に遠慮「村上」姓を憚り上下入れ替え「上村」を名乗ったという。近くに屋代勝永の館跡の土塁が残っているが、この家の南北も、道路をはさんだ向かいの家も「上村」姓である。もっとも北隣は8年まえより、うちと同様他姓の人が住んでいる。真偽のほどはわからないが、本当だとするとこの集落で「上村」家は400年以上続いていることになる。
この鬼瓦、処分するのは忍びないので、アプローチのシーサーの足下に据えた。
ところで、この猛暑の最中、屋代の館址よりさらに100mほど上で遺跡の発掘作業が進んでいる。話を聞くとこのあたりどこからも縄文遺跡が出てくるそうだ。特にここは土地改良工事が予定されているので、調査記録だけでも保存しておこうということらしい。補助金を使って田を開墾するのだという。後継者がいないことから耕作放棄地がある一方で、遺跡を潰してまで土地改良工事をする必要があるのかどうか、ちょっと考えさせられることではある。

2011/08/16

山梨では次のステージに向かって動き出している。庭の紅葉や檜、それに大葉擬宝珠(うるい)が切り取られ、ガレージに使っていた納屋が解体された。
これが1週間前の納屋ガレージ。
さらに1年前の写真、敷地奥のアイストップになっておりここ全体のイメージを決定付けていたし、それを当初「よし」としてきたのだが、やがて私の中で対立が生まれ、ついにどうにも許せないと思うようになってしまった。それに雨漏りがひどく、もう放置できないところまで来ていた。
とりあえず、納屋がなくなって母屋の西側の窓からの風景が一変した。まるで山の中にいるようだ。それまで納屋に隠れて一部しか見えなかった竹林やその先の林が目の前に拡がった。



2011/08/09

娘の人生

古屋再生とは少し離れるが娘の人生について、
テーマは「ダンス」

こりゃ私は門外漢だ。しかしいきさつには思い当たる節がある。おばあちゃんつまり私の母がやっていた。また彼の両親はダンススタジオの経営をしている。私の知らないところで彼らの人生の糸車は回っていた。

銀杏工房には直接の関係はないがこの夏いろいろなことが同時進行している。工房は工房で進行中なのでこの次報告する、、、

2011/08/02

暑い夏

この夏、私の身辺ではさまざまなことが同時進行している。
その1、東京の住まいが変わった。この写真は新しい(といっても古いマンションだが)私の書斎から見た西新宿の景色だ。超高層建築が迫ってくる。
自ら設計し18年間住んだ家を去ることは身を引き裂かれるような思いであったが、いざ引っ越してしまうとさばさばとしたものということも今回のことでは経験した。

その2、娘が結婚した。彼氏はダンサー、ちなみに娘もダンサーだ。私は危ぶんでいた。ところが先週彼の両親と会い少し考えが変わった。彼の父親はダンスで身を立てた。昔、ダンスを社会は認めていなかったらしい。そこで彼は娘の両親、つまり私たちがこの結婚をどう考えているか気にしていた。私はこの結婚を喜んでいる。

ところで山梨だが、環境整備工事の発注は済んでいる。やるのは明野の入戸野だが一向に始まらない。急ぐ話でもないしまあいいか。