2011/09/01

夏もお仕舞い

明野の夏もお仕舞いなんだが、一夏に1回くらいはひまわりの写真をのせておかないと明野らしくない。そこでこの写真。向こうにうちのお風呂の太陽館。夏の間のこの辺、日中は観光客で混んでいるので近づかない。で、これは早朝の写真、風呂には晩に行く。もうひまわりはお仕舞いで今頃はコスモスがさいているかな。
銀杏工房では工事がゆっくりと進んでいる。納屋の解体は済んで新ガレージの基礎工事が進行中。右手前に屋敷墓が見える。この前の土曜日、勝永寺(戦国武将屋代勝永の菩提寺)の住職に来てもらい拝んでもらった。移動せねばならぬのだ。明野の入戸野(工事担当)が怖くて手が出せぬというのだ。彼も私の後ろで手を合わせていた。今は集落に共同墓地があるが維新以前はこんな風に屋敷墓に埋葬していたらしい。この土地の売り主もさすがにそれは気になったとみえ、売却前に今回と同じ勝永寺に拝んでもらっていたらしい。私はこれを粗末に扱うつもりはない。マスタープランに従い動座願うのだ。ここには屋敷神という「神」もおり、この「仏」もいる。私はなんだかうれしい。

2011/08/19

鬼瓦

解体した納屋の屋根は瓦で葺かれていたので棟の両端には鬼瓦があった。そこにはこの地の旧家「上村」の名が刻まれている。信玄のその昔、戦国大名屋代勝永が出身の信濃村上氏を寝返ることで武田は信濃に躍進するのだが、屋代についてきた村上の一派は信玄に遠慮「村上」姓を憚り上下入れ替え「上村」を名乗ったという。近くに屋代勝永の館跡の土塁が残っているが、この家の南北も、道路をはさんだ向かいの家も「上村」姓である。もっとも北隣は8年まえより、うちと同様他姓の人が住んでいる。真偽のほどはわからないが、本当だとするとこの集落で「上村」家は400年以上続いていることになる。
この鬼瓦、処分するのは忍びないので、アプローチのシーサーの足下に据えた。
ところで、この猛暑の最中、屋代の館址よりさらに100mほど上で遺跡の発掘作業が進んでいる。話を聞くとこのあたりどこからも縄文遺跡が出てくるそうだ。特にここは土地改良工事が予定されているので、調査記録だけでも保存しておこうということらしい。補助金を使って田を開墾するのだという。後継者がいないことから耕作放棄地がある一方で、遺跡を潰してまで土地改良工事をする必要があるのかどうか、ちょっと考えさせられることではある。

2011/08/16

山梨では次のステージに向かって動き出している。庭の紅葉や檜、それに大葉擬宝珠(うるい)が切り取られ、ガレージに使っていた納屋が解体された。
これが1週間前の納屋ガレージ。
さらに1年前の写真、敷地奥のアイストップになっておりここ全体のイメージを決定付けていたし、それを当初「よし」としてきたのだが、やがて私の中で対立が生まれ、ついにどうにも許せないと思うようになってしまった。それに雨漏りがひどく、もう放置できないところまで来ていた。
とりあえず、納屋がなくなって母屋の西側の窓からの風景が一変した。まるで山の中にいるようだ。それまで納屋に隠れて一部しか見えなかった竹林やその先の林が目の前に拡がった。



2011/08/09

娘の人生

古屋再生とは少し離れるが娘の人生について、
テーマは「ダンス」

こりゃ私は門外漢だ。しかしいきさつには思い当たる節がある。おばあちゃんつまり私の母がやっていた。また彼の両親はダンススタジオの経営をしている。私の知らないところで彼らの人生の糸車は回っていた。

銀杏工房には直接の関係はないがこの夏いろいろなことが同時進行している。工房は工房で進行中なのでこの次報告する、、、

2011/08/02

暑い夏

この夏、私の身辺ではさまざまなことが同時進行している。
その1、東京の住まいが変わった。この写真は新しい(といっても古いマンションだが)私の書斎から見た西新宿の景色だ。超高層建築が迫ってくる。
自ら設計し18年間住んだ家を去ることは身を引き裂かれるような思いであったが、いざ引っ越してしまうとさばさばとしたものということも今回のことでは経験した。

その2、娘が結婚した。彼氏はダンサー、ちなみに娘もダンサーだ。私は危ぶんでいた。ところが先週彼の両親と会い少し考えが変わった。彼の父親はダンスで身を立てた。昔、ダンスを社会は認めていなかったらしい。そこで彼は娘の両親、つまり私たちがこの結婚をどう考えているか気にしていた。私はこの結婚を喜んでいる。

ところで山梨だが、環境整備工事の発注は済んでいる。やるのは明野の入戸野だが一向に始まらない。急ぐ話でもないしまあいいか。

2011/07/13

オンドル

津金の古民家「なかや」の改修で知り合った武川の大工が彼の作品に案内してくれた。オンドルが家の中心に置かれている。出来上がったばかりなので冬の暖かさは誰も体験していない。白い耐火煉瓦の箱の中で薪を燃やすと煙が赤いレンガ壁の中のくねくねと折れ曲がった煙道を通り煙突から外へと抜けてゆく。レンガ壁に蓄熱し穏やかな暖かさが持続すると言う。
私が「在来」工法と言ったら「伝統」工法と修正されてしまったが見事な小屋組み。釘を使ってないそうだ。丸太から削り、貫と楔で組上げている。材料は普通の木造の3倍必要と言っていた。おそらく手間も掛かるだろう。屋根も現しの垂木と野地板の上にもう一度垂木を乗せすき間を断熱材で埋め、その上に屋根材を葺いている。計画論は別としてこうした手間の掛かる事に情熱を燃やすこの大工は得がたいと思う。
偶然の組み合わせ、左は私の友人、例の切り株彫刻「小さな村」の作者。右は大工の友人で40数代続く古い寺のご住職。つまり坊主だが話しを聞いてみるとこの世界もなかなか人間臭くて面白い。
場所は蓼科、冬になったらオンドルの暖かさを体験しに来ねば、、、

2011/07/02

雨後の筍

雨後の筍とはよく言ったもので、梅雨のこの季節ちょっと目を離すとこの有様。もう1週間もすれば立派な竹に成長しているだろう。そうはさせじと鉈でなぎ倒す。
昨年以来続けてきた「竹戦争」とはこれら建物に迫った竹を取り除くことであった。竹になると高さは10m近くになり、枝も張るのでその焼却処分には大変な労力と時間を要する。それにしてもこの竹の生命力は見事、すごい。