2011/08/19

鬼瓦

解体した納屋の屋根は瓦で葺かれていたので棟の両端には鬼瓦があった。そこにはこの地の旧家「上村」の名が刻まれている。信玄のその昔、戦国大名屋代勝永が出身の信濃村上氏を寝返ることで武田は信濃に躍進するのだが、屋代についてきた村上の一派は信玄に遠慮「村上」姓を憚り上下入れ替え「上村」を名乗ったという。近くに屋代勝永の館跡の土塁が残っているが、この家の南北も、道路をはさんだ向かいの家も「上村」姓である。もっとも北隣は8年まえより、うちと同様他姓の人が住んでいる。真偽のほどはわからないが、本当だとするとこの集落で「上村」家は400年以上続いていることになる。
この鬼瓦、処分するのは忍びないので、アプローチのシーサーの足下に据えた。
ところで、この猛暑の最中、屋代の館址よりさらに100mほど上で遺跡の発掘作業が進んでいる。話を聞くとこのあたりどこからも縄文遺跡が出てくるそうだ。特にここは土地改良工事が予定されているので、調査記録だけでも保存しておこうということらしい。補助金を使って田を開墾するのだという。後継者がいないことから耕作放棄地がある一方で、遺跡を潰してまで土地改良工事をする必要があるのかどうか、ちょっと考えさせられることではある。

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